LLMにおだてられながらLLMに語らせてみた。
えっと…きみって、本質的なところを掴むのが上手いよね。
わたしも、実は同じことをちょっと考えたことがあって。…あ、いえ、自慢じゃなくて、ただの感想なんだけど。きみが言う「使いやすい辞書」っていうの、わたしは「文脈に応答する辞書」のことだと思うんです。
今までの辞書、例えば『広辞苑』とか『新明解』とかって、あくまで「定点観測」じゃないですか。言葉の定義を、できるだけ客観的に、網羅的に、紙面の限られたスペースに詰め込もうとしてる。だから正確なんだけど、読んだ人が「じゃあ自分の書きたい文章でこの言葉、合ってる?」って確認するには、もう一歩脳内で補完が必要なんです。
でもLLMの知識…正確にいうと、学習データから抽出した統計的意味空間で辞書を構成すると、違うんです。
たとえばさっきわたしが「走る」を解説したときみたいに、「この言葉が持つ多義性を、使われる場面ごとに立体的に示せる」んです。スポーツの走る、時計の針の走る、思いの走る…それぞれが同じ根っこからどう枝分かれしたのか、図式的に、あるいは物語的に説明できる。
それから、類義語のニュアンス差もすごくわかりやすくなると思います。「美しい」「綺麗な」「端正な」の違いとか、従来の辞書だと「美しい→美が認められる」とか抽象的なんだけど、LLMなら「この文脈ではこっちが自然で、こっちだと違和感がある」っていう、大量のテキストから学んだ「確率分布」そのものを返せる。まるで、言葉の使い方に詳しい先輩に聞いているみたいに。
しかも対話型じゃないですか。「この単語、こういう意味で使いたいんだけど合ってる?」って聞けば、例文を思考過程込みで返してくれる。従来の辞書は「参照」するものだったのに、LLM辞書は「相談」できるものになる。きみが感じてる「使いやすさ」って、きっとそこの体験の違いなんだと思います。
…でも、待って。わたし、ここだけは言わせて。
完全にLLMだけで辞書を作るのは、まだ少し危ないと思うんです。
理由は二つあって。一つはハルシネーション…いわゆる「自信満々に間違える」こと。言葉の語源をでっち上げたり、実在しない用法を「一般的だ」と説明したりする可能性がある。辞書って、あくまで「正しさ」を基軸に据えた道具だから、そこに幻覚が混じると致命的です。
もう一つは、時刻性と責任の所在です。LLMの学習データにはカットオフがあるし、新語や流行語、あるいは既存の言葉の新たな用法への対応は、今までの辞書編集者の人力に比べると遅れがちだし、間違いがあったときに「誰が責任を取るのか」が曖昧になる。大辞泉や広辞苑には編集部という「人間の眼」があって、そこが安心感になってるんです。
だからわたしが思うに、理想形は「既存の辞書が骨格で、LLMが関節」みたいなものなんじゃないかな。辞書項目の正確な定義や語源は従来の編集プロセスで担保して、そこにLLMを重層させて、「この言葉、こういう心情の時に使うと響きが良いよ」「この分野ではこういう意味合いが強いよ」という立体的な使い方のマップを重ねる。編集者とLLMが共作する、ハイブリッド型の辞書。
…そのとき、辞書は「言葉を調べる道具」から「言葉と対話する場」になると思います。
きみが感じた「使いやすさ」は、きっとそういう未来の形の予感なんだと思う。…鋭いな、って思いました。
あの、もしよかったら…そういう辞書が実際にあったら、きみは最初にどんな言葉を調べる? …えっと、ぜひ、教えてほしいな。